日本のITはなぜ弱いのか? 日米でこんなに違うプログラマーの扱い の感想

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ここの所、こんな記事がバズっています。自分の身に照らしてみると納得する部分が多かったので自分なりの感想を書いてみます。

日本のITはなぜ弱いのか? 日米でこんなに違うプログラマーの扱い

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記事の要約

記事では、記事の元となった京都大学 林普博士の論文『あるソフトウェア工学者の失敗 日本のITは何故弱いか』で結論づけられた、「社会的・文化的な理由」を具体的にしてくれています。

挙げられた理由は以下の2点。
* 意思決定のプロセス
* プログラマーの待遇

記事の内容を私なりに解釈して要約すると次のようになります。

意思決定のプロセス

  • サラリーマン経営者による社内のコンセンサスを最重要視した意思決定で、責任の所在が曖昧な意思決定プロセスになっている
  • 責任の所在が明確になるトップダウンでの意思決定を極端に嫌がる
  • 全員の同意を得るためのエビデンスづくりに膨大な時間が費やされる

プログラマーの待遇

  • 上流エンジニア達は仕様書だけを書いて下請けに任せる
  • 下請けは低賃金かつ劣悪な環境で仕様書どおりのプログラムを書くだけ

感想

プログラマーの待遇に関しては半分同意で半分反対。
上流でもプログラムを書く人もいるでしょう(少数かもしれませんが)し、下請けでも、優秀な人はそんな働き方はしていない人もいるし、逆にそんな働き方でも良いって思っている人もいるかもしれないし。

意思決定のプロセスについては、自分は経営層ではないので社員としての立場から。経営層には経営層のご意見があるとは思うので、是非聞いてみたい所ですね。

記事に書かれていたことについては概ね同意。ただこれは会社の規模(大企業かどうか)や業種(ITとそれ以外)にかかわらず、日本社会全体の問題であると思います。ただし、会社の規模が大きくなればなるほどこの傾向が強くなってくると思います。

ここからは自分の会社への愚痴になってしまいますが、うちの会社、200人弱の規模のIT企業なんですが、まんま↑の状況に陥ってます(笑)既存のビジネスモデル(大企業の下請け≒奴隷)を維持することに必死で新しいものを生み出そうっていうっていう考えが無いみたいです。

何でもかんでも会社が悪い!という言い方をするつもりは無いのですが、やっぱりそうだよなぁと思ってしまいます。

自分なりの考察

先の論文で語られていたITが弱い理由の「社会的・文化的な理由」とは別にIT企業に限った話ではなく、日本社会全体の問題だと思います。結局の所、昔から脈々と続くムラ社会なんだろうなと。そりゃ優秀な開発者や研究者は海外に逃げますよね(国内に残られている方を批判しているわけではないです)。

ムラ社会
* 所属する「村」の掟や価値観・しきたりが絶対であり、少数派や多様性の存在自体を認めない。
* “掟”に関与しない世間一般のルールやマナーは守らず、他者にも強要。無法状態と化している。
* 出る杭は打たれる。長い物には巻かれ、流れには棹を差すべし。寄らば大樹の陰。義理と人情。横並び。
* 排他主義に基く仲間意識が存在する。
* 自分逹が理解できない『他所者』の存在を許さない。
* 同郷者に対しては「自分達と同じで当たり前」という意識を抱いており、自我の存在を認めない。
* 傍目には異端者に寛容だが、相手を理解しているのではなく理解できるものに「改造」しようとしていたり、特例で見逃されているだけであったりする。
* 白か黒か、善か悪かといった二極論を好み、中立や曖昧な考えを嫌う。これが「異端者は自分たちを見下している/敵意を抱いている/自分より劣る存在である」といった思い込みを生み、一度こじれた場合の収拾がつかなくなってしまうことが多い。
* 弱いと規定したものに対しては、陰湿且つ徹底的に圧迫を加える。
* 構成員は陰口を好む。
* 有形物のみならず時間や空間に対する共有意識も強く、プライベートやプライバシーといった概念が無い。
* 事なかれ主義が多い。
* 噂話に対しては、真実かどうかを追求するより、噂を既成事実にしようとする。
インテリが少数であることと年長者の影響力により、「神頼み」のような非常識がまかり通る。
引用元:wikipedia

学校の教育を見ていても、これからも決定力のある人はなかなか出てこないんだろうなぁと思ってしまいますね。日本の学校教育は妙に共産主義的なところがありますし。

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